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課題3 予測医療に向けた階層統合シミュレーション

平成25年度~27年度における実施計画

研究開発課題の概要

本課題では、深刻な後遺症をもたらし得る心疾患・脳血管疾患および、運動機能障害をもたらす神経疾患等を対象とし、これまで別々に開発を進めてきた血栓症シミュレータ、心臓シミュレータ、筋骨格シミュレータ、脳神経系シミュレータの統合により、それぞれの疾患に対する血球細胞・心筋細胞・筋繊維・神経細胞レベルからの複雑なプロセスを取り込み、病体の予測と治療支援、薬効の評価などを行なう筋骨格-神経-循環器系統合シミュレータを開発し、計算を実施する。具体的には、サブテーマとして(A) 心筋梗塞・脳梗塞のマルチスケールシミュレーション、(B) 心疾患の治療法・薬効評価のためのマルチスケール・マルチフィジックス心臓シミュレーション、(C) 神経疾患による運動機能障害解明のための全身筋骨格-神経系統合シミュレーションを実行していく。さらに、人の運動機能や心臓を始めとした循環器系の機能に大きな影響を与える神経系を軸として、上記の3つのシミュレータの統合を進める。神経系が人の運動に与える影響については、パーキンソン病のような運動機能障害をもたらす神経疾患を始め、緊張や精神的な動揺が行動にもたらす影響、転倒時における無意識の体勢の変化など実に多岐に亘る。特に高齢者の転倒は、その後寝たきりの生活へと繋がるケースも多く、筋力の衰えおよび神経系の反応低下などにより引き起こされる転倒のメカニズムを解明することは、転倒防止のインフラを作る上でも重要な情報となる。また、心臓を含む循環器系への影響としては、緊張や精神的な動揺による心拍数の変化から血圧への影響、体温調節のための血管の収縮・拡張まで、様々な因子がある。興奮時の血圧上昇などは心筋梗塞・脳卒中へと繋がることも知られており、神経系の影響を考慮に入れることによって、より多くの疾患に対して知見を得ることが可能になる。
なお、各サブテーマは現在進行中のグランドチャレンジプログラム「次世代生命体統合シミュレーションソフトウェアの開発」での成果を積極的に利用するものであり、(B) に関してはグランドチャレンジ終了後に本格的な研究を開始する。また、(A) に関しては、現在、グランドチャレンジプログラムで開発中の血栓シミュレータと心臓シミュレータの計算結果を利用し、グランドチャレンジプログラムでは血栓形成の初期段階である1次血栓を対象としたが、ここでは、動脈硬化巣における2次血栓の成長から血管閉塞に至るまでのシナリオを再現する。(C)に関しては、グランドチャレンジで開発されたNESTシミュレーターと、その上で実装された脳幹運動神経核および大脳皮質の神経回路モデルを活用して開発を進める。
以上、本課題では、「京」のもつ圧倒的な計算能力を有効に活用し、細胞レベルに始まる現象の積み上げとして組織・器官の挙動を予測するシミュレーションを実行し、わずかな兆候からの将来の病態の予測や、身体的負荷の少ない治療法の検討、薬効の評価、転倒のメカニズム解明による転倒防止に重要となる因子の検討などを行なうためのシミュレーションを行なっていく。

研究開発課題の内容

1) 心筋梗塞・脳梗塞のマルチスケールシミュレーション
研究代表者:高木周(理研)
研究分担者:後藤信哉(東海大)
本課題では、グランドチャレンジプログラム「次世代生命体統合シミュレーションソフトウェアの開発」で開発した血栓シミュレータをさらに拡張し、心筋梗塞・脳梗塞により血管閉塞に至るまでのシミュレーションを実施する。グランドチャレンジプログラムでは血栓形成の初期段階である1次血栓を対象としたが、ここでは、動脈硬化巣における2次血栓の成長から血管閉塞に至るまでのシナリオを再現する。具体的にはGCの成果である(ZZ-EFSI, ZZ-Throm)を活かし、本戦略プログラム(STPR)では、マルチスケール血栓シミュレータ(EX-Throm)の開発を以下のように進める。
心筋梗塞、脳梗塞は、心臓、脳を灌流する直径数 mmの冠動脈、脳血管の動脈硬化性変化を基盤とする閉塞血栓により惹起される。閉塞血栓形成の初期段階では、動脈硬化性に狭窄した血管の、動脈硬化巣破綻により血流に曝露された血管内皮下組織への血小板の集積が必須の役割を演じる。この現象に対し、GCプログラムで開発した、汎用性の高い完全オイラー型流体構造連成手法であるZZ-EFSIを利用する。ZZ-EFSIは、すでに「京」の全ノード(82944ノード)を用いた計算で,実効性能4.5ペタプロップスを達成している。このプログラムに、血小板上の糖タンパクGP1bαと血管壁面上のフォンヴィレブランド因子(vWF) 間の分子間相互作用を取り込んだマルチスケール血栓シミュレータZZ-Thromの開発も順調に進んでおり、GCでは血小板粘着の初期プロセスを再現した。本プログラムでは、このZZ-Thromの機能をさらに拡張したEX-Thromを開発し、GP1bαとvWFの結合により活性化された血小板同士が他の糖タンパク(GPIIb/IIIa)などを介し2次凝集のプロセスに入り、さらにフィブリン網の形成による血液の凝固から血管閉塞にいたるまでの血栓成長のプロセスを再現する。具体的には、血小板の活性化後おきる様々な反応プロセスを物質濃度の移流拡散方程式とともに解き、トロンビンの影響により、血漿中に溶解しているフィブリノーゲンがフィブリンへと変化し、さらにゲル状のフィブリン網として血流中に網目状の構造を形成し、そこに赤血球などの血球細胞が捕獲されて凝固プロセスが進行していくのを血流の計算を行うことにより再現する。また、興奮による血圧の上昇の効果などが血栓症に与える影響なども考慮するため、交感神経系のモデルも実装させる。
以上、本研究開発では、ペタスケールの計算機を用いて数時間程度で行える計算モデルを用いたシミュレーションを行い、病態の再現と薬効の評価を行う。薬効の評価については、分子レベルからのシミュレーションではなく、血栓形成・成長に関与する多数の物質の化学反応式を血流や血球細胞の状態の時空間変化とともに連成して解くことにより、ある物質の濃度の違いがもたらす影響などについてその詳細を調べていく手法をとる。さらに、すでに効果が知られているクロピドグレルのような薬剤を投与したときに、その効果がきちんと再現できるようなシミュレータを構築しておき、そのもとで、効果が期待されながら成功を収めなかった薬剤(例えば、GPIIb/IIIa受容体阻害剤)に関して、シミュレーションを実施することにより、見落とされていた重要な因子について知見を得ることを目指す。これにより新たな薬剤の開発にとって必要となる条件を提示することが可能となる。医療機関からの協力者として、血栓症の実験およびモデリングで顕著な業績を有する東海大学医学部の後藤信哉教授および東京大学医学部循環器内科の西村智博士から、数値計算結果の検証用の実験データおよび生理学的因子に対するアドバイスを受け研究を推進させる。さらに、心臓の冠動脈の循環に関しては、下記の研究項目Bの久田(東大)らの開発している心臓シミュレータとの連成を行う。心臓シミュレータの計算結果と、後藤(東海大)らが臨床レベルで取得している心エコー図、MRIなどによる計測データを用いることにより、心臓の収縮を伴う動脈内血流シミュレーションの結果の検証が可能となる。
2) 心疾患の治療法・薬効評価のためのマルチスケール・マルチフィジックス心臓シミュレーション
研究代表者:久田俊明(東大)
本課題では、すでに久田(東大) らにより開発が進められており、グランドチャレンジプログラムでも大きな成果が期待されている筋細胞レベルから心臓全体を再現するマルチスケール・マルチフィジックス心臓シミュレータ(UT-Heart) をさらに使い込み実際の医療に役立てることを目指す。すなわち、10ペタフロップス級の計算機の機能を最大限に利用し、すでに開発済みのマルチスケール・マルチフィジックス心臓シミュレータを用いて、様々な条件下における種々の疾患(不整脈や拡張型心筋症など) の再現、薬効の評価を含む種々の治療法を検討するためのシミュレーションを行っていく。 また、本課題では、神経系の影響を取り込むため、交感神経系・副交感神経系が心臓の活動に与える影響についてモデル化を行い、既存の心臓シミュレータに取り込むことを検討する。具体的には、①交感・副交感神経の終末の心臓への分布およびその活動が身体へのストレスによってどのように変化し、②各細胞内の情報伝達系がどのように機能し、③機能タンパクのパラメータをどう変えるか、という各過程における医学・生理学的研究の現状を反映させたシミュレーションを行うことを目指す。ただし、これらの現象に対しては信頼できる数理モデルが現時点で存在しておらず、慎重に検討しながら開発を進める予定である。本課題については、次世代生命体統合シミュレーションプロジェクトで推進中の課題の延長上にあり、プロジェクト終了後の平成25年度より本課題に加わり、研究を推進する。
3) 神経疾患による運動機能障害解明のための全身筋骨格-神経系統合シミュレーション
研究代表者:中村仁彦(東大) 、研究分担者:銅谷賢治(OIST) 、高木周(東大) 、野村泰伸(大阪大)
本テーマは、グループ3「予測医療に向けた階層統合シミュレーション」の中でも、初年度より特に力を注ぎ開発を進めるテーマであり、脳神経系のシミュレーション、細胞内信号伝達経路のシミュレーション、細胞レベルからの筋活動シミュレーションをメゾスコピックモデルとして統合するものとして、人間の全身の神経筋骨格系のシミュレーションモデルを構築する。
中村仁彦(東大)らは、すでに骨の剛体多面体モデルからなるリンク機構と1次元の筋肉機能モデルをつなぎ合わせたヒト筋骨格系全身モデル(リンク数53本、筋989本)に末梢神経系のネットワークを取り込んだモデルを開発している。このモデルに骨格の詳細な幾何形状と靭帯や軟骨によって運動の対偶が決定させる骨格の詳細モデルおよび筋繊維から構成された骨格筋のモデルを結合する。さらに、筋を内包する筋膜や、靭帯、腱、軟骨、横隔膜、腹膜、各種内臓器、皮膚、皮下組織などの体積を持つ組織によって生まれる、分布した質量効果、圧力効果、呼吸や血流による動的効果を取り入れた組織モデルを取り入れることで、体の動きに制約が加わる効果を表現する。これにより、運動ニューロンからのシグナルの違いにより生じる運動機能の変化など、ミクロスコピックな効果の積み上げとしての筋骨格系の動きが再現可能となり、加齢や疲労、個人による運動機能の違いが細胞レベルでのモデリングにより再現できるようになる。しかし、その計算量は飛躍的に増大するため、シミュレーションに際しては「京」が不可欠になる
また、人の運動機能や心臓を始めとした循環器系の機能に大きな影響を与える神経系の役割について神経細胞レベルからの物質輸送・シグナル伝達の影響を考慮した解析を進める。神経系が人の運動に与える多岐に亘る影響に対して、筋骨格系モデルと脳神経系モデルの統合によりシミュレーションを実施し、神経疾患による運動機能障害の再現やリハビリ方法の検討などを行っていく。具体的には、まず骨格筋に指令を送る運動神経細胞と、筋紡錘などの感覚入力をつなぐ脊髄反射のネットワークモデルを構築する。実験データから逆システムを統計的に解くことによって筋活動と感覚入力の関係を推定し、これをもとに脊髄反射のネットワークモデルを構築する。
つぎに、神経疾患がもたらす運動機能障害の一例として、パーキンソン病を対象とした研究を行う。正常脳のモデルとの比較により、パーキンソン病の脳モデルの場合には、安静時振戦や姿勢保持障害などの症状が再現されるモデルを構築することが目的となる。そのための随意運動の制御を行う脳のモデルとして、パーキンソン病の病変部位である大脳基底核と、全身運動制御に重要な役割を持つ小脳、それらとループ回路を構成し脊髄に出力を送る大脳皮質運動野の神経回路モデルを構築する。特に大脳基底核モデルでは、ドーパミンが神経細胞の活性とシナプス可塑性に及ぼす効果をモデル化し、その大脳基底核回路ダイナミクスへの影響、さらに脊髄神経回路と筋骨格系を経た感覚フィードバックのもとでの振る舞いの変化を統合シミュレーションにより明らかにする。ここでは、GCプログラムで開発され、すでに32,768コア並列の大規模並列計算で実績のある脳神経回路網ソフトウェアNESTを活用し、本プログラムで新たにモデル化された部分をNESTに組み込んで「京」の64万コアを用いた計算を実施する。この症状の再現には、まずは正常脳で正常状態が再現できること、次にドーパミンの減少による神経回路のパラメータ変化により、筋骨格系からのフィードバックによるダイナミクスのもとで安静時振戦が現れることを単関節運動系で再現する。それに連成する筋モデルとして筋収縮と粘弾性のマクロスコピックモデルと、筋繊維レベルから組み上げられた詳細モデルを用いて「京」による計算を行ない、それらの特性の違いを明らかにする。
さらに、神経系からのシグナルの異常が全身筋骨格系へ与える影響をシミュレートし、姿勢保持障害を再現する。姿勢保持障害については全身を対象とし、全身筋骨格のモデルとの連成を行う。なお、直立や歩行などの姿勢保持障害に関しては、小脳や平衡器官や視覚入力を含めたシステムが必要となり、計算負荷が大幅に増加するため、大脳基底核部の部分の計算負荷を下げるモデル化が必要になると考えられる。以上により構築された全身筋骨格-脳神経系統合モデルは、正常の歩行も再現できる必要があり、加齢や疲労に伴う歩行の変化や転倒の再現なども可能となる。大阪大学の野村泰伸教授らはパーキンソン病に関してこれまで長い間医療機関(国立病院機構刀根山病院、阪大MEI)と連携をとってきており、患者のデータを基にした計算結果の検証を行っていく。

具体的な成果目標

神経系を介して筋骨格系と循環器系のシミュレータを接合することにより、幅広い疾患に展開できる統合シミュレータの基盤ソフトを構築する。本研究課題の範囲内では、心臓部分については、狭心症、心筋梗塞、拡張型心筋症、肥大型心筋症、微小血管障害による心機能異常、ストレスや興奮による影響まで含めて様々な疾患のシミュレーションを行い、治療法の検討、薬効の評価を実施していく。また、運動機能障害については、パーキンソン病のような、脳神経系のモデルが困難な系に対して、神経細胞レベルからの物質輸送・シグナル伝達の影響を考慮した脳神経系を伴う全身統合シミュレーションを実施することにより、そのメカニズムの解明と治療法の検討を行ない、例えば、従来だと、ドーパミンが足らないから注ぎ足す、過活動になるから電気刺激で抑える、といった定性的思考による対症療法を行ってきた系に対して、個々の患者の症状や運動テストのデータから、神経回路の各要素の変性の進行度を多次元のパラメータとして推定して、それをもとに投薬と電気刺激のコンビネーションなど最適な処方を予測する。さらに、開発されたシミュレータにより転倒時における体勢の変化や損傷の予測、筋肉の疲労と脳の疲労の影響の違いなど広範囲に亘る現象の解析が可能となり、例えば、高齢者の転倒メカニズムを解明することにより、転倒を防止するインフラに対する新たな知見を獲得するなどジェロントロジー分野の新たな展開にも貢献が期待できる。

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