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  MRIやX線CT、超音波エコーなど、非侵襲的に生体内の観察を可能にする計測技術の発展は、医療に大きな進歩をもたらしてきました。一方、計算科学の発展により、生体分子や細胞から組織、臓器、個体に至る様々な階層での力学現象の解析が可能となり、生物学や生命科学と物理学との距離が近づきつつあります。こうした物理的側面からの生体現象の理解を医療に応用することが生体工学の役割の一つでありますが、エビデンスを重視する医療では計測に重点が置かれ、医療現場では数理モデルを使った工学的解析手法が十分に活用されていないのが現状です。計測機器が進歩して得られる情報量が増大するほど、また、対象となる現象が複雑になるほど、高度な診断や治療には、観察される生体現象そのものの理解と膨大な計測結果の分析が要求されますが、それを支援する医療工学技術はまだ確立していません。
  本サブ課題では、ポスト「京」を活用した大規模生体物理シミュレーションと、様々な形式で提供される生体計測データを同化・融合させることにより、実測データを重視する医療に受け入れられる計算機シミュレータを開発し、患者個別の生体情報に基づいた個別化医療支援の基盤技術を確立することを目標としています。ポスト「京」でしか実現できない大規模シミュレータとしては、脳神経活動と脳循環を結びつける全脳循環代謝シミュレータを開発します。データ同化生体シミュレーションで得られる物理情報を医療に提供することにより、生体機能を正しく定量的に評価してデータベース化し、健康長寿社会を支える高度な診断や治療、予防・予測を実現するための計算科学に立脚した新しい医療工学技術の創成を目指します。

サブ課題Bの全体像と研究テーマ

図1  サブ課題Bでは、「京」で開発してきたシミュレーション技術を継承し、生命維持機能の中核となる血液循環系と、高齢化社会におけるQOLの維持に欠かせない身体運動機能を担う神経‒筋骨格系および発話機能を担う口腔系に対し、患者個別の生体情報に基づいた生体物理シミュレータを開発します。




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  「京」からポスト「京」へ移行しつつある現在、「計算機の進歩を予測した上での研究計画立案の重要性とそれを実現する技術開発の必要性」はさらに増しています。既成概念にとらわれない発想と腰をすえた学術的深化が求められています。
  私たちが今後10年程の間にポスト「京」プロジェクトで達成しようとしていることを簡単にご紹介したいと思います。研究の理念は、サブテーマの課題「心臓シミュレーションと分子シミュレーションの融合による基礎医学と臨床医学の架橋」に込められています。「京」を用いたこれまでのUT-Heartの開発では、サルコメアを構成するミクロな収縮タンパクからマクロな心臓の拍動までを繋ぐマルチスケールシミュレーション技術を完成しました。ここではアーム部がばねで表されたミオシンのヘッドにATPが結合し加水分解することによってアクチンフィラメントとの間に確率的な首振り運動を行う数理モデルが統計力学の法則に基づき定義され、各クロスブリッジの発生力ひいてはサルコメアの収縮力が計算されています。ポスト「京」においてはこれを更に発展させ、粗視化した分子シミュレーションモデルから構成されるサルコメアモデルを開発し心臓モデルと連成させます。これにより、例えばマクロレベルで観察・測定される負荷がどのように分子レベルに伝達され細胞内信号伝達系を活性化するか、その結果どのような病態が引き起こされるかに関するメカニズム解明に切り込むことができると考えられます。さらに収縮タンパクの運動を調節するカルシウムイオンを含む各種イオン電流の細胞への出入りを制御するイオンチャネルについても分子モデルから構築し、薬剤との結合・解離のシミュレーションを行うことで、薬剤が心臓にもたらす不整脈リスクを評価します。これにより心臓へ副作用を及ぼす候補化合物を迅速にスクリーニングすることが可能となり、創薬の過程を効率化します。本研究は重点課題1とのコラボレーションにより行われます。
  私たちは「京」の出現、そしてポスト「京」への発展という歴史の節目に立ち会う幸運に恵まれました。しかし時間はあっという間に過ぎ去ります。私たちは10年後に再び繰り返されるであろう議論を建設的なものにするだけの成果を挙げる責務を負っています。志を高く持ち力を集中することで計算科学の歴史に新たなマイルストーンを築きたいと考えています。

サブテーマCの研究構想