BioSupercomputing Newsletter Vol.8

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SPECIAL INTERVIEW HPCI戦略プログラム 分野1 予測する生命科学・医療および創薬基盤

課題3 予測医療に向けた階層統合シミュレーション


循環器系および筋骨格系・脳神経系における
階層統合シミュレーションの実現をめざす

高木 周

東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻 教授
高木 周
(課題3 代表)

トップダウン的アプローチで生命システムを明らかに

 課題3の究極の目標は、「“生きている”とは何ぞや」を明らかにすることです。そのために、統合されたシステムとしての生命を理解することをめざして、階層性を持った人体をつくり上げていく階層統合シミュレーションに取り組みます。
 私たちの生命が維持されているというのはどういう状態かというと、栄養となるものを口から取り込んで、その栄養分が血流を介して体全体に送られる。また一方で、空気を吸うことにより、肺で得た酸素がやはり血流を介して全身に送られ、体を構成する細胞は届けられた栄養と酸素を得ることによってそれぞれの機能を果たす。さらに、細胞が機能した結果、人体全体が機能し、やがて栄養が必要だという指令が脳に送られて、脳は空腹を感じ、私たちはまた食事をしたりするわけです。当然ながら生命の維持には、より細かいさまざまなプロセスがありますが、そこにも熱や物質や情報をいろいろなかたちで輸送するシステムが存在しています。そこを原点として、体のなかでいったい何が起きているのかを明らかにしていく、分かりやすくいえば、そうしたアプローチで生命システムを解き明かそうというのが課題3です。
 例えば、薬が効いて病気が治ったとき、分子レベルで「薬がタンパク質のある機能を阻害し、細胞が正常に機能するようになって治りました」という説明は、間違っていません。しかし治らなかった場合、なぜ治らなかったのかは、分子レベルの局所的な話だけでは説明がつかないケースが数多くあります。実際に、分子レベルではうまくいくはずなのに、効かない薬もたくさんあります。病気の症状が消えて、脳が「治った」と感じるのは、タンパク質や細胞ひとつひとつの話ではなく、タンパク質の機能が変化して細胞が正常に働き、そうした細胞の集団である組織や臓器が正常に活動し、最終的には神経系を介して脳のなかで「治った」ことを感じるわけです。つまり、局所的なイベントだけでは決まらないことが多いのです。ですから、薬が効かない場合は、他のいろいろな因子が関わっていることを考えなければなりません。“生きている”ことを理解するためには、分子レベルから全身レベルまでのいろいろな要素を捉えていくことが必要なのです。とはいえ、分子から体全体まで、すべてを精緻にシミュレーションすることは難しく、どうしても限界があります。どのように階層を統合していけばいいのか、そのための方法論が重要です。
 さまざまなイベントが、スケール的にも時間的にも複雑に相互作用している生命現象を理解するためのアプローチの方法には、ボトムアップ的に小さな要素から組み上げていくことで大きな現象の理解につなげるやり方と、トップダウン的にまず体全体が維持できていることから下りていき、小さな要素がどう機能しているのか、何が効いているのかを見ていくという2つがあります。私たち課題3は、後者のアプローチで、生命現象を明らかにしていこうとしています。
 私たちの体には、わずかな擾乱が起きても元の正常な状態に戻そうとするホメオスタシス(恒常性維持)という機能が備わっていて、多少調子が悪くなっても、すぐに悪化するわけではありません。それがある一線を越えたときに、がらりと状態が変化して病態になります。何が効いて、どの段階で大きな変化が起きるのかを定量的に捉えるのは難しいかもしれませんが、どの因子がどの程度まで進んだら大きな変化が起きるのかを見つけ出すには、トップダウン的なアプローチの方がやりやすいと考えています。逆にボトムアップ的なアプローチで組み上げていくと、最後に残ってくる因子が何なのかが非常に見えにくくなります。階層統合は、ある意味では粗視化であり、何かを切り落とすことによって、異なる階層を見ていこうという試みになります。気を付けなければいけないのは、単純に平均化してしまうと、次の階層で現れる機能や個性が、かき消されてしまうということです。何を残せばいいのか、それは結局のところ、上の階層に現れる機能や個性で決まるわけです。下の階層の理論をきちんと踏まえた上で、心臓なら心臓、血流なら血流の機能を残すにはどこをどのようにつなげればよいのか──私たちが手がけてきた研究課題の多くが、まさにこの点を取り扱うことにあったといっても過言ではありません。

心筋梗塞シミュレーション

血栓症シミュレータと心臓シミュレータの統合により、心筋梗塞へと至るシナリオの再現をめざす。これまで開発を進めてきた、タンパク質分子レベルの相互作用から、流体力学レベルの血流現象までを取り入れたマルチスケール血栓シミュレータをさらに拡張し、心臓の拍動に連成して収縮・膨張する冠状動脈に対する血管閉塞を再現する。

グランドチャレンジの成果を活かしてさらなる発展を

 5年間行ってきたグランドチャレンジプログラムにおいて、血栓シミュレータ、心臓シミュレータ、筋骨格系シミュレータ、脳神経系シミュレータなどの優れた性能を持つ各種生体シミュレータが開発されています。課題3では、その成果を積極的に利用し、「京」を使って、これまで個別に開発が進められてきたこれらのシミュレータを統合することにより、さまざまな疾患に関する複雑なプロセスを再現するための基盤ツールを整備し、将来的に階層性を持った人体全身に統合していくためのフレームづくりにも結び付けていきたいと考えています。さらに疾病に関するシミュレーション成果を、病態予測や治療支援に役立てることにも取り組んでいきます。
 具体的なシミュレーションのターゲットに選んだのは、心筋梗塞とパーキンソン病という2つの疾患です。先に申し上げた通り、人体において循環器系と神経系は、生命維持のために熱や物質や情報を輸送するための不可欠な物質輸送網・情報伝達網であり、いわば人体の幹線網として機能しています。将来的に全身統合シミュレータを構築していくことを考えた場合も、循環器系と神経系は非常に重要です。こうしたことも考慮して、心筋梗塞とパーキンソン病をターゲットにしました。
 心筋梗塞のシミュレーションでは、グランドチャレンジプログラムで開発した血栓シミュレータを拡張し、血栓形成の初期段階で血小板が粘着・凝集する一次血栓(血小板血栓)だけでなく、血液凝固機能の発動による二次血栓(フィブリン血栓)の成長から血管閉塞に至るまでのシナリオを再現することをめざしています。さらに、久田俊明(東京大学)らが開発している心臓シミュレータとの連成を行い、その効果を含めて、心臓を取り巻く冠状動脈における動脈硬化巣への血栓粘着から始まって血栓が成長し心筋梗塞に至る過程をシミュレーションしていきます。また、血栓に関連する薬の効果を評価することにより、新たな薬剤の開発に対して重要となる知見を与えることができればと思っています。
 一方のパーキンソン病は、筋骨格系シミュレータと脳神経系シミュレータの統合パートとして、その再現をめざしています。パーキンソン病は、体(筋骨格系)が正常でも、脳からのシグナルの異常によって手足の震えや体の固縮が起きると考えられています。脳からのスパイクシグナルが、運動ニューロンを介して筋繊維に伝わり、震えが生じる振戦と呼ばれる病態や、筋肉がこわばり姿勢が固まる固縮と呼ばれる病態を再現することにより、脳神経疾患による運動機能障害のひとつであるパーキンソン病の病態予測や治療支援に役立てたいと思っています。

全身統合シミュレータの構築を見据えて研究を推進

 現在進めている心筋梗塞およびパーキンソン病のシミュレーションに加えて、今後は、神経系を介して筋骨格系と循環器系のシミュレータを統合することにより、幅広い疾患に展開できる統合シミュレータの基盤ソフトを構築することにも取り組んでいきたいと考えています。また、心臓部分については、心筋梗塞をはじめ、狭心症、拡張型心筋症、肥大型心筋症、微小血管障害による心機能異常、ストレスや興奮による影響まで含めて、さまざまな疾患のシミュレーションを行い、治療法の検討、薬効の評価も実施していきたいと考えています。また、パーキンソン病に関しては、神経細胞レベルからの物質輸送やシグナル伝達の影響を考慮した脳神経系を伴う全身統合シミュレーションを実施することにより、そのメカニズムの解明と治療法の検討を行ない、例えば、これまでの電気刺激による対症療法とは異なる、個々の患者の症状や運動テストのデータなどをもとにした投薬と電気刺激のコンビネーションなど、最適な処方を予測することにもつなげていきたいと思っています。さらに開発されたシミュレータを活用することにより、転倒時の体勢の変化や損傷の予測、筋肉・脳の疲労の影響の違いなど、広範囲の現象の解析が将来的には可能になると考えています。

脳神経系シミュレータ

脳神経系シミュレータ、筋骨格系シミュレータの統合によって、脳神経疾患による運動機能障害のひとつであるパーキンソン病を再現することをめざす。

BioSupercomputing Newsletter Vol.8

SPECIAL INTERVIEW
革新的なアプローチでライフサイエンス分野の未来を切り拓いてきたグランドチャレンジ
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プログラムディレクター 茅 幸二
ライフサイエンス分野の研究開発に革新をもたらした画期的なプロジェクト
理化学研究所 次世代計算科学研究開発プログラム
副プログラムディレクター 姫野 龍太郎
研究報告
マルチスケール・マルチフィジックス心臓シミュレータUT-Heart
東京大学新領域創成科学研究科
久田 俊明、杉浦 清了、鷲尾 巧、岡田 純一、高橋 彰仁
(臓器全身ケールWG)
膵臓β細胞内インスリン顆粒動態シミュレーション・モデル
神戸大学大学院システム情報学研究科 玉置 久(細胞スケールWG)
京による全脳シミュレーションへの道のり
理化学研究所 脳科学総合研究センター ユーリッヒ研究センター
神経科学・医療研究院(INM-6)
アーヘン工科大学医学部 マーカス・ディースマン(脳神経系WG)
大規模並列用MDコアプログラムの開発
理化学研究所 次世代計算科学研究開発プログラム 大野 洋介(開発・高度化T)
SPECIAL INTERVIEW
循環器系および筋骨格系・脳神経系における階層統合シミュレーションの実現をめざす
東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻 教授 高木 周(課題3 代表)
最先端シークエンサーによる大規模データを「京」で解析し生命プログラムとその多様性の理解を進める
東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター 教授 宮野 悟(課題4代表)
報告
「4th Biosupercomputing Symposium」の開催報告
理化学研究所 次世代計算科学研究開発プログラム 田村 栄悦
京互換機:SCLS計算機システムの導入
理化学研究所 HPCI計算生命科学推進プログラム チーム員 木戸 善之
イベント情報&ニュース