理化学研究所 次世代計算科学研究開発プログラム
梁 夫友
(臓器全身スケールWG)
ヒトの循環器系は最も重要な生命維持システムですが、疾患の発生しやすいところでもあります。世界的に見ると、循環器系疾患は現在、人類の最大死因となっています。循環器疾患の診断・治療を高度化あるいは支援するための研究や技術開発などが、数十年前から幅広い分野において活発に行われています。その中でも血管病と血流との関連に関する研究は重要な課題の一つです。
特に、医用画像と流体解析技術を融合した研究は患者の3次元血流情報を詳細にとらえ、臨床応用に役立つと大きな期待を集めています。しかし、その一方で、幾つかの問題にも直面しているのも事実です。例えば、計算の境界条件を与えるための血流・血圧の測定については、精度や適応場所の制限など、様々な困難があります。また、患者が安静な状態でしか計測できない場合も多いため、多くの血流解析研究は安静状態での血流のみを反映するものとなってしまいます。しかし、血流循環の挙動は生理状態の遷移に応じて大幅に変わることがあります。
局部血流のほかに、より大きいスケールから見た血流挙動や脈波の伝播なども医学的な価値があります。例えば、動脈波は心機能や動脈系の形態学・力学特性などの変動に応じて変化することが知られています。実際、昔からも動脈波がしばしば重要な指標として循環器病の診断に使われています。
循環器系が複雑であることで計算モデルの構築上、問題になることがもう一つあります。例えば、ひとりの人間の体内にある動脈(静脈)、細動脈(小静脈)、毛細血管の数はそれぞれ数百、数千万、数十億に達します。これらの血管は繋がり合い、極めて複雑なネットワーク構造を築いています。しかし、血管の幾何学形状や材料力学特性など計算モデルの構築に必要なデータは全ての血管に対して計測することは困難であります。従って、全身の血管を対象とした実形状の計算モデルの構築は極めて困難であります。
循環器系の動的特性と複雑さを対応できるような計算モデルを構築するために、我々は血流のマルチスケールモデルリング手法を開発しました。まず、毛細血管や細動脈、小静脈などの微小血管系、動脈系、局部の動脈をそれぞれ集中係数(0次元)モデル、1次元モデル、3次元モデルを用いて表します。更に各モデルを互いに連成させ、閉じた系の複合モデルを構成します(図1)。このモデルは異なるスケールのサブ・モデルを含んでおり、マルチスケールモデルとも言われます。このモデリング法のメリットは、最も複雑な微小循環を計算コストの最も低い0次元モデルで扱い、モデル全体の計算コストを大幅に削減できることです。また、局所の3次元血流モデルの境界条件を他のモデルと連成解析させることにより、様々な生理・病理条件下での血流解析が可能となることも血流解析上の大きなメリットです。
本モデルを用いて様々な血行力学現象を調べることで、様々なことが分かってきました。例えば、若いときに見られた心臓から大動脈の末梢に向けての収縮圧の上昇と圧力波の形状の変化が、加齢につれなくなるという現象を計算で再現し、加齢に伴う動脈硬化がその原因であることを明らかにしました。また、本モデルを上腕カフのモデルと連成させ、自動血圧計の計測精度やカフを利用した動脈硬化度の評価の妥当性などを定量的に検討することにも成功しました。現在、臨床で取られた血管画像、血流量などの患者別情報を本モデルに導入し、術後の血流状況を評価し、手術の効果やリスクを予測する研究を進めています。将来は、スーパーコンピューターを利用し、より広い範囲の動脈を3次元モデルで表し、より多くの患者別情報、生理学メカニズムをモデルに導入することで、よりリアリステックな血流解析を行いたいと考えています。
【参考文献】
[1] |
Liang F.Y., Takagi S., Himeno R., Liu H., Biomechanical characterization of ventricular-arterial coupling during aging: a multi-scale model study, J Biomech, 42:692-704, (2009) |
[2] |
Liang F.Y., Takagi S., Himeno R., Liu H., A computational model of the cardiovascular system coupled with an upper-arm oscillometric cuff and its application to studying the suprasystolic cuff oscillation wave concerning its value in assessing arterial stiffness. Comput Methods Biomech Biomed Engin. (in press) |
図1:ヒト循環器系のマルチスケールモデル。
(上:モデルの仕組み、下:各サブ・モデルで計算された結果の例)
BioSupercomputing Newsletter Vol.6