BioSupercomputing Newsletter Vol.9

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自由エネルギー計算でDNAとタンパク質の世界を解き明かす

米谷佳晃

日本原子力研究開発機構
量子ビーム応用研究部門
米谷 佳晃

プロフィール

 自由エネルギーは、原子・分子集合体のさまざまな現象を理解する上で重要な指標です。水を冷やすと氷になります。これは、氷の自由エネルギーが水の自由エネルギーより小さくなったからです。分子動力学法と呼ばれるコンピュータシミュレーションを使って自由エネルギーを計算することにより、このような原子・分子の世界でおこる現象を予測することが可能です。
 DNAやタンパク質が登場する細胞内の世界も、根底にある物理法則は水の場合と同じです。そのため、自由エネルギーを計算することで、分子認識、構造形成、分子輸送などさまざまな生命現象を理解できると期待されています。しかし、水の場合と比べると、DNAやタンパク質の自由エネルギー計算は極めて困難です。分子構造が複雑で、時々刻々と変化しているからです。自由エネルギーを正しく見積もるには、時々刻々と変化する分子構造を十分にサンプリングする必要があるのですが、これには極めて長い計算時間がかかります。
 近年、「京」に代表されるようなコンピュータの高速化により、生体分子の自由エネルギー計算も、ようやく手の届く範囲に入り、この数年間で多くの研究者が取り組むようになってきました。我々は、生体分子のなかでも特にDNAとタンパク質の相互作用に注目し、自由エネルギー計算をもとに、細胞内の生命現象を解き明かしていこうと考えています。図1は、最近、我々が計算したラックリプレッサーと呼ばれるタンパク質についての結果です。ラックリプレッサーがDNAから離れていく過程の構造変化と自由エネルギー変化を、Adaptive Biasing Force [1]と呼ばれる分子動力学法を使って導きました[2]
 この計算結果は、学術的には、2つの点で意義があると考えています。1つは、「DNAの周りでタンパク質はどのように運動しているのか」について手掛かりを得たことです。自由エネルギー計算の結果から、タンパク質がDNAから離れることはまれで、主にDNAに沿って移動しているという説が有力であることが分かりました。これは、DNA配列探索メカニズムの解明につながる問題で、生命科学の分野で最もホットな話題の1つとして、現在も論争が続いています。
 もう1つは、特異的認識の問題です。A、T、G、Cの4種類の塩基からなるさまざまなDNA配列のうち、ラックリプレッサータンパク質は、GTGAGCGを含む領域に特に強く結合することが分かっていました。しかし、その理由は分かっていませんでした。我々は、自由エネルギー計算の結果をもとに、そのような特定の配列に強く結合する仕組みを明らかにすることに成功しました。この結果は、遺伝子発現メカニズムの分子論的解明につながると考えられています。
 現段階では、DNAやタンパク質の一部を取り出して計算を行っていますが、将来、エクサスケールコンピューティングが実現すれば、もっと大規模な計算ができるようになります。細胞核内のDNAは、ヌクレオソーム構造と呼ばれるコンパクトに折りたたまれた状態で収納されているのですが、そのようなDNAからタンパク質がターゲット配列を探し出す様子をシミュレートすることも可能になると考えています。

※ 分子動力学法:ニュートンの運動方程式を解くことによって原子や分子の運動を解析するシミュレーション手法。

【参考文献】
[1] E . Darve, D. Rodríguez-Gómez, A. Pohorille, J. Chem. Phys., 128, 144120 (2008).
[2] Y. Yonetani, H. Kono, J. Phys. Chem. B, 117, 7535 (2013).

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図1:ラックリプレッサータンパク質がDNAから離れていく過程

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発表論文
学会発表